【アーカイブ】乗りつぶし日記 その43 ~近鉄の盲腸線をたどる~

2010.03.17 近鉄道明寺線&長野線

この日は谷四で用事だったが、これにも例の3Dayチケットが活躍する。まあ、大阪市内へ行くルートでもさまざまあるのだが、近鉄大久保~大和西大寺~上本町・谷町九丁目~谷町四丁目というルートで行くと、片道だけで930円。往復で1860円

3Dayチケットは、1日あたり1700円分乗ればモトは取れるので、単純に往復するだけでも、モトが取れてしまうのである。

で、この日は更に京都市内で用事があったのだが、若干、時間に余裕があるので、近鉄南大阪線の支線で未乗車になっているところに寄り道してみようという算段である。

とりあえず、用事を終えて、地下鉄谷町線天王寺に向かい、そこでランチを取る。

ランチを終え、天王寺から、寄り道スタートである。

今回のターゲットは、近鉄道明寺線長野線なのだが、ルートを思案した結果、JR関西線柏原に向かい、そこから道明寺線に乗車し、道明寺河内長野行きに乗り換えて、長野線を踏破しようというプランにした。

3DayチケットなのでJRの分が余分な出費だが、ついでに言うと、近鉄道明寺線もなぜか、3Dayチケットの対象外。まあ、柏原駅JRの駅に間借りする格好になっているので、ややこしくなるから対象から外しているんでしょうね・・・

さて、JR関西線に乗るのも久々だったので、車窓に目をやっていると、かつて加美~平野間で分岐していたはずの阪和貨物線の痕跡を消す工事が行われていたようだった。かつては奈良線~関西線~阪和貨物線経由で京都から和歌山方面に特急なども運行されていたルートだっただけに、何とか廃止せずに活用する方法は無かったものかと、つくづく思ってしまう。

柏原道明寺線に乗り換えるわけだが、道明寺線JR柏原駅の1番ホームを間借りする形になっていて、近鉄専用の改札口は無い。*IC乗車券の利用者のための機器が道明寺線ホームにおいてある。

JR関西線柏原駅では10分毎に利用できるが、道明寺線20分毎の閑散運転。ということで、決してJR関西線との連絡はよろしくない。やってきた列車も2両編成のワンマン車であり、それなりの乗車率ではあったが、まあ利用実態に即したキャパといったところか・・・

道明寺線は、大和川の堤防を登って行き、堤防の手前で単線ホームの柏原南口駅。大和川を渡ってしばらくすると、終点の道明寺である。

ここで近鉄南大阪線河内長野橿原神宮前方面と乗換えとなるわけだが、20分毎の道明寺線と、15分サイクルの南大阪線長野線のダイヤパターンが違い、完全な15分毎になっているわけでも無いので、ここでの乗り換えもあまりよろしくない。

今回、道明寺駅で下車すると、すぐに古市行きの普通がやっては来たのだが、それで古市まで行ったところで、河内長野行きと連絡しているわけでもない。

なお、道明寺駅橿原神宮前方面ダイヤを見ると、10分毎に準急(といってもこの先は各駅停車だが)がやってきて、その内、30分毎に橿原神宮前行き、それ以外が河内長野行きといった形になっている。その他、30分毎に古市行きの普通がある程度。

まあ、そもそも柏原~河内長野という乗客の流動はあまり考えにくいわけなので、仕方ない面もあろうが。もっとも、河内長野から道明寺・柏原乗換えで天王寺、というルートも物理的には可能なわけだが、近鉄サイドとしては、天王寺駅に隣接する阿部野橋まで利用してほしいところであるし、河内長野からということであれば、南海高野線も選択肢となる。いずれのルートも直結しているのは、大阪ミナミまでだが、地下鉄御堂筋線などへの乗り換えもあるから、キタにいくにもさして不便なことは無く、わざわざ道明寺線を利用する必要も無いわけだ。

道明寺駅でいったん改札を出てホームに戻り、来た列車は橿原神宮前行きの準急。とりえあず乗り込んで古市に向かう。とはいえ、河内長野方面への連絡があるわけでもなく、河内長野へは後続の準急まで待たねばならない。思えば、柏原駅13:34発道明寺行きに乗ったのだが、道明寺への到着は、13:38分。この時間帯の準急32分・河内長野行き、42分・柏原神宮前行き、52分・河内長野行きと続いている。結果、河内長野へは14:13分に到着したわけだが、柏原から河内長野という区間で40分かかったことになる。

ルートをさかのぼれば、天王寺12:58に出る柏原行き普通に乗って、13:20の到着。ここでも12分待ちで、道明寺でも14分待ち。結果、天王寺~河内長野で1時間15分もかかったことになる。素直に阿部野橋から直通の準急に乗っていれば、38分で河内長野に着くのだから、いかにこのルートが需要が少ないかということになる。

とはいえ、このルートもかなり歴史は古いようで、実は現有の近鉄路線網の中で、最古のルートは柏原~古市間を1898(明治31)年3月に河陽鉄道が開通させたものである。その河陽鉄道も、開通の主目的は河内長野~柏原のルート開通だったというから、隔世の感がある。また、この河陽鉄道も当時の国鉄関西線との直通を目指していたようで、そのために軌間は国鉄と同じ1035mmを採用。そのため、河陽鉄道から発展した、現在の南大阪線系列各線も軌間が1035mmと、他の近鉄線と一線を画すことになっているのです。

こういう歴史的経緯は、結構地図を見ると分かりやすかったりする。地図で見ると、柏原~河内長野はほぼ一直線に作られていて、あとから出来た近鉄南大阪線は、道明寺~古市近辺で大きなS字を描いて橿原神宮前へ向かっている。

古市河内長野行きの準急に乗り込むと、しばらくは複線で住宅街を抜けて行く。そして、高校野球で有名なPL学園、その母体であるPL教団のお膝元である、富田林に到着。複線区間はここまでとなる。

沿線は単線へと変わるが、車窓は変わらず住宅地を縫って走る。そして、14:13に河内長野到着で、今回の目的はひとまず達成。

で、この後なのだが、京都四条烏丸に16:30に戻らねばならない用事がある。当初は、河内長野から古市に戻り、橿原神宮前経由京都方面に戻ろうかと思っていたのだが、古市以東の南大阪線が、いかんせん本数が少ない。速達列車は急行が30分毎に走るだけ。そのため、橿原神宮前からは特急を利用しないと間に合わないことが発覚。特急に乗るのはいいとしても、乗り換え時間がわずか6分。間に合わないことは無いのだが、売店などで飲料を買う時間も無い。

で、調べてみると河内長野から京都に戻るには、実は大阪市内にいったん戻ったほうが速いことが発覚。

というのも、河内長野南海高野線の主要駅であり、難波行きの速達列車が多数走っている。難波からは地下鉄御堂筋線を使って梅田に行き、そこから10分毎に走っている、阪急京都線特急を利用したほうが、本数の少ない橿原神宮前経由より、余裕を持って四条烏丸に向かうことが出来る。
河内長野は近鉄の駅と南海の駅が横付けされて並ぶような格好になっていて、割と楽に乗換えが出来る。首尾よく、河内長野始発の区間急行に乗り換え、悠々座って難波に戻る。

久しぶりに南海の難波駅を訪れたが、ずいぶんと改装されていて、きれいになっている。

そのまま地下に降り、地下鉄御堂筋線に乗り換えて梅田に行き、阪急京都線に乗り換える。首尾よく、転換クロスの9300系がやってくる。この阪急9300系京阪8000系には劣るが、関西では快適な車両のひとつ。惜しむらくは10分毎の運用をまかなえる本数がそろっておらず、乗車確率は50%といったところ。また、京都よりの車端部がロングシートになっていたり、扉側のシートが固定で、転換クロスとはいえ、向かい合わせのボックスシートになってしまう箇所が大半になる点で、京阪8000系と比べると、快適度は落ちる。

で、予定にはだいぶ余裕を持って四条烏丸に戻ることが出来、少し時間があったので、スターバックスで一服してから、用事を済ませ、その後も3Dayチケットを活用して、帰路に着いた。

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